infp的パパ。1年間の育休から復職した。

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働き方

なんと3年ぶりにブログ更新になる。積もる話もあるようでないが、シンプルに今感じていることを記したい。

現在管理人は1年間の育休を明け、地方(都市?)移住&復職して数カ月ほど経った。今までのことをざっと振り返り、今後の展望を描く。

目次

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記事更新をしばらく辞めていたワケ。

自分へのアンチコメントを見てしまったからである。16personalitiesいつやってもINFPのワタクシは豆腐メンタル。やる気を失うのは一瞬だった。

まぁ確かに当時は今より若く(今も精神年齢変わらないケド)、配慮が足りない記事を書いていたのは事実であろう。表現にトゲもあったはず。気に障った方いたら申し訳ない。悪気はなかったのだ。。

もう一つは、シンプルに大変だった(単純w)。今思うと当時は何を目指していたのか分からない迷走っぷりである。SEO気にしたりアフィリエイト貼ったり、サムネ画像作ったり、文体やレイアウト気にしたり、、、うん。なんと面倒なんだ。。

平日は1日中仕事。まだ分からないことも多く、心も身体も疲弊している状態。もちろん仕事の傍ら記事更新し続ける体力は残ってない。週休4日欲しい..(関係ない)

再開しようと思ったワケ。

3年間ほど放置してたのに未だに意外と読まれていたのだ。しかも更新停止時期でも時々相談したいと連絡くれる人もいた。誰かの参考になっているのは普通に嬉しい。昔よりかは余裕あるし、少しでも役立つ人がいるならまた書いてみようかなと思った。

ありがとう。

あとは、純粋に好きなこと書いて自由に発信したいと思った。社会に向けて自分の思いを発信できる場所があるというのは貴重なことだ。自分のように生きづらさを抱えながら色々考えて生きてる人もいるって知ってもらうだけでそれは意味あることじゃないか。今後は無理せず気張らずに、自分のペースで記事更新していく所存である。

ブログ開設の目的はなんだった。

当時書いた記事を恐る恐る見てみよう。。。うん。触れるのすら恥ずかしい限りだ。自分への戒めとして残しておくべきか。否か。うむ、プロフィール記事は書き換えよう。本音は、ブログで生計立てるブロガーへの憧れや技術発信してエンジニアスキル磨きながら価値高めて独立目指したい。とかそんな感じだったと記憶している。

若い。

技術記事書いてる暇あったら仕事頑張った方がスキルつくだろう。ブログで生計立てたいと思ってるならそれ相応のリソース割くべきだろう。中途半端の極みである。

ブログ開始から現在に至るまで振り返ると

ブログ開始当初は確か2018年。社会人1年目。大手SIerの研修や、SI業界開発現場の過酷さに相当メンタルやられてた記憶だ。そんな中書籍や友人の影響を受け、古臭いSIerではなくキラキラしたweb業界のエンジニアに憧れる。苦手な体育会系の環境も後押しして、1年目ですぐに転職した。(一応大学まで体育会系の部活やってたけど。)ちなみに同時期に結婚もした。その時のお気持ちが赤裸々に書かれた体験談が本ブログのベースだ。

転職後1〜2年の苦しみも赤裸々に本ブログに投稿している。管理人の実力不足や、成果主義の厳しさを存分に味わい、鬱寸前状態までいった。否、鬱になっていたかもしれない。「石の上にも3年」とはよく言うが、凡庸な管理人にはぴったり当てはまった。苦しんだ最大の要因は報連相など社会人基礎力の欠如であろう。(ちなみに今もそこそこ怪しい気はするが人並みにはなったエンジニアスキルがカバーしてくれている。)当初はスキルも素人なのに報連相もイマイチで、周囲に自己開示できなかった。感情に素直な管理人は、色々と分からないゆえに隠したい、周囲にオープンになれないの悪循環にハマっていた。でもなんだかんだ時間ってけっこう色々な物事を解決してくれると思う。メンタル死にながらも毎日通っていれば、業務に慣れてくる。できることも増えてくると自然と自信がついてくる。自信がついてくると自然と周囲との関わりが増えてくる。徐々に徐々に正のループに入るのです。

妻の支えでなんとか耐え忍び、webエンジニア3年目くらいにはだいぶ色々なことできて任されるようになったと記憶している。だから「石の上にも3年」という言葉、今ではけっこう信じている。自分の教訓的には、報連相と周囲とのコミュケーションが取れていれば社会人大怪我はしない。

3年目以降はチームに今までかけた迷惑を取り戻す働きはできたと思っている。その頃心にも少しずつ余裕が生まれ始めた管理人は、16personalitiesとの出会い(INFP)で心理学に興味を持ち始める。そのあたりが最後の投稿である。その後は?まず心理学にハマり、心理カウンセラーの資格を取得した。仕事でもそろそろマネージャーに向けたキャリアパスを歩もうかというタイミングで妻の妊娠が発覚。正直全く予期していなかった。

家族で将来を考えた結果、1年間の育休取得&地方(妻の地元に)移住を決断した。

こうして転職後4年半もお世話になったチームとはお別れ。素人を受け入れてくれた前チームには感謝しかない。1年間の育休は天国過ぎたので、機会があったら別の投稿で伝えたい。現在は復職。社内異動先のチームでまたエンジニアとして心機一転頑張っているところだ。正直、キャリアにはかなり痛手だったと感じている。ただ間違いなく育休は取って良かったと断言できる。後悔はない。

今、何を思う。

転職や前チームでの経験、心理資格取得、1年間の育休や子育て、復職..様々な経験を経て、我思う。ゆえに我あり。正直に言おう。

僕はエンジニアに向いていない。

これまでやってきて、ものづくりにやりがいを感じた瞬間がない。理系、さらには工学部に進んだものに聞くと、「小さい頃何かを作るのが好きだった。」「組み立てるのが好きだった」みたいな返事が返ってくることが多い(気がする)。幼い頃ものづくりには特段興味がなかった。これはエンジニアとしては致命的ではないだろうか。

それ以上に致命的なのは、性格だ。僕は超絶感情タイプで、普段から非合理的な行動を取りがちなのである。それゆえ超合理主義の妻からけっこう怒られる。反面、エンジニアは正確性、厳密性、効率性が求められる職業である。高いパフォーマンスを出すのにノリや感情は不要でロボットのようになるのがベストだ。(今思うと以前いた新サービス開発チームとは相性悪くなかったかもしれない..)

さらに、メンタル面もきつい。様々なストレスが襲いかかってくる。1番嫌いなのは、トラブルや不具合が起きた際の緊急対応。平日はともかく土日祝日でもお構い無しに連絡が飛び、心臓が縮みあがる。日常的にも、問題解決の連続はなかなかキツい。様々な問題に直面しながらもスケジュールのプレッシャーと常に向き合わなければならない。ちなみに退勤間際に問題を見つけなんてすれば、もう最悪だ。退勤したのに、気になってしまい頭が疲れる。緊急対応、スケジュール、問題解決..脳疲労と不安がつきないのだ。

他方、向いているかもしれないと思う部分もある。それは没頭力だ。開発にのめり込んで物事を細部まで深く追究するのが得意なのはエンジニアの仕事に取り組む上で大きな助けになっているのは間違いない。

無論、仕事的には良い。が、この特性は諸刃の剣で、脳が休まらない。時々仕事が夢に出てきて眠りが浅くなることもある。脳が稼働し続ける状態は、想像以上にしんどい。オン・オフの切り替えがうまくできない。感情を消して働けたらどんなに良いだろうか。

逆に、社会人5年ほどやってきて自身の強みも明らかになりつつある。それは人当たりの良さや共感性の高さ、無害感などの人間的側面だ。今現在は心理カウンセラーなどの対人サービス系に向いていて、かつやりがいを持って働けるという考えに至っている。妻や同僚からも「向いてるだろうね。笑」と言われる。ということで、民間の心理カウンセリング資格を取得した。現在は副業として徐々に始めている段階で、将来的にはもっと本業に近づけていきたい所存だ。

生きづらさからの脱却に向けて。

今更だが、気付いた。管理人はエンジニアに向いていない、というか社会に向いていないのだろう。学生生活もなぜだか常に疲れてたし、社会人生活はより疲れている。「生きづらさ」と付き合って生きてきた人生である。今は、競争と効率性に塗れた資本主義社会との相性が絶望的という結論に達している。

なので、生きにくさの根源である資本主義ゲームから一刻も早く抜け、子供や家族と過ごす時間を大事にしたいと思う。これからは、エンジニア業を減らしつつ、カウンセリング業を増やしていくこと。家族の時間を増やすこと。株の運用で資産を増やしていくことに注力していく。その過程で、infpの憂鬱や苦悩を伝えていきたい。

ブログ名を変える。

本ブログサイト当初のコンセプトは、大手SIerからwebエンジニアに転職した経験を伝える、といった感じだった。ただ、これからは16 personalitiesINFPでかつ、エンジニアであり、パパである管理人の憂鬱や苦悩を伝えることが主になる。よって、ブログタイトルをに変更しようと思う。封印していたドメイン名を使い、かつinfp的なエッセイブログにしていく意思を反映させる。

「くまてつぶろぐ-infp的感性のエッセイlog」

また次の記事にて。

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