先日、「人事の人見」というドラマの第一話を観た。なんだただのコメディか、と思って観ていたらなかなか考えさせられる内容だった。
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退職代行で辞める新卒2年目社員。原因は?
舞台はワンマン社長の経営するとある中小企業。マーケティング部に配属された新卒の中でもトップクラスに優秀だった社員(社員A)が辞めるというニュースが人事に飛び込んできたところから始まる。もちろん人事は大変な騒ぎで、なんとか退職を止めようと画策しようとする。が、退職代行を使っているから、家に押しかけたりするもんなら大問題になる。そこに海外でバックパッカーしていた社会人経験なしの人見という主人公が、なんと家に突撃。退職理由を聞き出すことに成功するところからストーリーが進んでいく。
話を聞くと、職場いじめを受けたのが原因だと言う。社員Aは上司(上司A)から仕事を取り上げられたり、会議へ参加させてもらえなかった。「来週のプレゼンはXXに任せよう」「お前はこの会議でなくていいから」といったシーンが流れる。要は無視されたり、省かれたように感じていたのだ。
真っ当な理由な気がする。自分に置き換えて考えてみても、もしいないように扱われたら速攻で病む自信がある。人事もこの件はパワハラと判断した。
上司Aの苦悩。何をやってもパワハラになる。
ところが今回の件、上司Aにも深いストーリーが。以前、期待の若手(社員B)に熱を注いで育成していた。時には厳しく、時には優しく見守り、昭和スタイルで良好な関係を築いていた。はずだった。社員Bは上司Aにパワハラされたと言い残して退職してしまったのだ。この事実は上司Aをひどく傷つけ、トラウマになった。
次なる期待の若手(社員A)がきた。社員Bの教訓から、上司Aは働かせすぎないように徹底的に気遣った。表面上は、である。実態は、深くかかわるのが怖かったのだ。(結果、社員Aには裏目に出た。)
最後にラップで想いをぶつけ合って仲直りするというコメディ展開でその回は終わるのだが、結局世代論に惑わされず人と人のコミュケーションが何より大事というメッセージだった思う。
昭和の職場、好きかも。
ドラマの内容説明はここらへんにしよう。結局人と人とのコミュケーションって部分は至極真っ当だ。そこではなく、世代によって違う働き方の想像が色々膨らんだのが面白かった。所詮はないものねだりなのだろう。でも、昭和の職場って好きかもしれない。というのも、色んな意味で温かい気がする。
もちろん合理的に考えたら今のほうがはるかに恵まれている。長時間労働ではないし、上司からのハラスメントも許されない風潮になった。飲み会の参加を強制されないし、有給・産休育休も取りやすくなった。無駄な会議、業務とかも減った。働き方もリモートなど選べる会社も増えたし、女性も社会進出が当たり前になった。個人の権利・自由は確実に拡大している。こんなに恵まれているはずなのに、何を生ぬるいことを言っているのだ。
昭和の職場にいきなり放り込まれたら、きつくて発狂するかもしれない。毎日クタクタに疲れているだろう。でも人の温もりみたいなものは感じているはすだ。
上司Aの回想シーンに上司Aが新人のときの映像が流れてきた。厳しい上司がいて、毎日毎日怒られて新人のときはしんどかった。数年経ったある日、仕事で大きな失敗をしてしまいベンチに座って落ち込んでいた。そんなときその厳しい上司が何も言わずに缶コーヒーを渡してくれた。ずっと見てくれていた。その瞬間が今でも忘れられないほどすごい嬉しかったのだという。
infpにとっては人との感情的なつながりが生きる養分なのだ。怒られたら落ち込むけど、そこに自分への関心と信頼が感じられるなら頑張れるのではないか。人の温かみを感じれたら、幸せなことではないか。昭和の職場って家族のようなイメージだ。仕事内でも仕事外でも喜びや悲しみを共有している。心が繋がっている。労働時間は長くても今ほどストレスフルではないのではないかと想像が膨らむのである。年功序列っていいのかもね。
無機質で冷たい気がする現代の職場
今はどう考えてもあらゆる面で恵まれてるのは事実だ。事実なのだが、個人的にはストレスが絶えないという現実もある。そのギャップはなぜ生まれるのだろう。それは、職場では感情の共有が少ないからではないか。
現代の職場は基本的にコミュケーションを通じて感情のやりとりが発生しない。その方が効率的で正確だからだ。ツールも便利になって生産性は上がった反面、無駄が排除された。同時に、対面コミュケーションや雑談、他愛のない話も切り捨てられてしまった。
仕事ができない人の戯言だが、僕は無駄な会話をすると安心する。不完全な人間からすると効率的で正確なコミュケーションは息苦しい。みなさんが仕事のために無機質で機械的な対応になってると頭では分かっていても、日常に楽しみがない。驚きがない。僕はもっと人の感情がみたいし、繫がりたい。不安や悩み、喜び、楽しいこと、辛いことを共有したい。助け合いたい。仕事を離れると良い人ばかりで、人の温かみが変わったとは思えない。変わったのは働き方であり、個人の成果を求める評価制度だ。構造的な問題だから根深い。人間関係が希薄になっている中、仕事を離れてコミュケーションを取ることは稀だ。好きの反対は無関心とは言ったものだが、現代の職場は他人からの無関心を感じる機会が多い気がする。だから社員Aは退職代行を依頼したのではないだろうか。infpが病むのも仕方がない世の中である。
和の精神に立ち返りたい
解決は難しい。ドラマのようになんとか本音をぶつけ合って理解し合えるのが理想だが、実際はそんな機会はないまま憎み合って別れるのが関の山だろう。ただ、希望はあると感じる。infpは夢想家だからね。
日本民族は元来、和の精神を持っている。力を合わせて自然災害から何度も立ち直ってきた歴史から紡がれてきたものという説がある。欧米の個人主義、合理主義に毒されている昨今、職場環境をガラッと変わるのは難しい。だからこそ和の精神に立ち返る必要があると感じている。そして、我々infpとしては和の精神を持ちながら、あえて逆をいってみる。それは、利己心を捨て、無駄なことをするということであり、評価にならないことを厭わずやるということである。人とたくさん無駄話をし、たくさん助けを求め合おう。不完全さを存分に活かしてやろう。これはある種infpの挑戦であり、現代社会が最も必要としているところなのだ。理想の職場を作れる可能性がある我々の覚醒が待たれる。
人事の人見第2話も観たが、書いたことのど真ん中が描かれていて驚いた。人見さんもinfpかな?今後も楽しみである。